記念建築事業


学園を繋ぐあたらしい道を見つけよう

昔の暁星

露台の両側には手摺がありました

  • 露台
    【100周年記念誌 暁星 に掲載された 1938年7月の写真】

校地に高低差のある地形は、古くから『露台』という印象深い景色を作りだしました。現在の正門と聖堂を結んでいる姿は、上グラウンドと下グラウンドの境目にあり、かつては、スロープ状の崖と平行に、橋のように両側に手摺の付いた形をしていました。写真の右側が下グラウンドとなります。

大使館側の塀には歴史があります

  • 正門
    【百年誌写真集には 終戦前の正門 として掲載されています】

中高の敷地は、以前は、和洋学園と講堂を結んだ線まででした。つまり現在の正門や事務棟は、隣地でした。当時の正門は、フィリピン大使公邸側にありました。その後校地を譲り受け、現在の正門となります。小学校との間の二合半坂のレンガ積みの塀は、千代田区の景観まちづくり重要物件として指定されています。

旧キャンパス配置図には仏語表記があります

  • 配置図
    俯瞰
    【百年誌に掲載された 関東大震災(1923年)後の建物配置】

図面の方位から分かる通り、旧正門の右が現在の二合半坂で左端の道が早稲田通りとなります。下グラウンドの南端に現在の講堂体育館が建っているところにも別の校舎が建ち、現在の正門部分の校地はまだありません。上グラウンドも林のように木が生えていたようです。俯瞰図は、北から靖国神社の方を観ています。

以前の聖堂は木造で小聖堂でした

  • 旧聖堂1
    旧聖堂2
    【百年誌掲載された 旧聖堂の外観】

現在の聖堂は、創立80周年(1976年)に建てられましたが、それ以前の聖堂は木造で、今の聖堂からプールの方に向かって建っていました。写真の露台の端にある2階建の上部が聖堂だったようです。下階は、小学校の寄宿舎などに使われていたこともありました。

現聖堂は建設当時は雛壇つきでした

  • 現聖堂
    【百年誌写真集に掲載された 80周年記念に建設された聖堂】

創立80周年(1967年)に建てられた2代目の聖堂の正面には、当初、階段が付いていました。写真では、露台の奥に聖堂の正面階段が見えると思います。卒業記念等のグループ写真の雛壇として、撮影ポイントでした。右手前の平屋の建物は当時の職員室で、屋根の上の木の枝は三角広場の端に現在も残る椎の木です。

講堂は建設当時の画期的な建物でした

  • 講堂工事
    【百年誌に掲載された 露台からの工事途中の講堂写真】

1932年(昭和12年)に完成した現在の講堂・体育館は、当時の耐震建築として鉄骨を使った鉄筋コンクリート造の「近代建築」として評判でした。現在の建築からは考えられないほど繊細な多数の部材を繋ぎ合わせた構成が分かります。製鉄技術や軍需の為の鉄鋼飢饉など材料供給上の苦労もあったと想像されます。

現在の体育館はバスケ1面ですが

  • 体育館
    【百年誌に掲載されている 新築当時の体育場】

現在の体育館は1932年に講堂と一体に建設され、当時は体育場と呼ばれていましたが、今も同じ大きさの空間です。バスケットのコート1面の広さで、天井の鉄骨の梁もそれほど高くはないので、公式のバレーボールには少々支障があります。地下階ですが、両側の高窓から自然光が注ぎ暗い印象はありません。